6泊8日で、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、タシケントを巡る個人旅行の3日目になります。サマルカンド観光の締めくくりとしてアフラシアブの丘に行き、その後、夕方発の寝台電車に乗って、ブハラへ向かいます。2025年10月の旅です。
イスラム・カリモフ通りからYandexでタクシーを呼ぶには
3日目 15:00 事前に席を押さえているブハラ行きの寝台列車は、サマルカンド駅から17:45に出ます。まだ少し時間があります。そこで、アフラシアブの丘へ出向くことにしました。
さて、Yandexでタクシーを呼ばねばなりませんが、その時にわれわれがいたイスラム・カリモフ通りの北側からとなると、少し考えなければならないことがあります。イスラム・カリモフ通りは一般車両が通行できません。下のマップでなぞった黄色い線にタクシーが入ってきてくれたらいいのですが、それはできないのです。

では、どこにタクシーを呼べばいいかとなります。われわれはマップ左上の赤いポイントが付いた「Siyob bekat」というところに移動して、そこで乗りました。ここには、バス停があります。バス停には、幹線道路からバスを引き込むためのスペースが設けられています。よって、幹線道路を結構なスピードで車が行き交っていても、安全にタクシーに乗ることができます。
対して、一般車両が入れない道(黄色い線)と幹線道路が交わるマップ右手の赤いマルで囲ったところでタクシーを拾っている観光客の姿も見られましたが、こちらは車が停車するための専用スペースがあるわけではありません。追突される危険がないとは言えないので、見ていて怖いなと感じました。よって、イスラム・カリモフ通りの北側からタクシーを捕まえたい場合、Siyob bekat辺りに呼ぶのがいいと思います。
15:30 そんなわけで、タクシーに無事に乗って、アフラシアブの丘に到着。アフラシアブ博物館で降車しました。
しかし、アフラシアブ博物館のそばから、アフラシアブの丘のエリアに入ることはできません。フェンスによって隔てられているからです。博物館のスタッフらしき人に聞いてみると、ここに来る道を少し戻ったところにあるラクダのモニュメントのそばから丘のエリアへ入れるとのことでした。先ほどのグーグルマップで「Karvon haykallari」と表記がありますが、それがラクダのモニュメントです。

このラクダのモニュメントの付近であれば、アフラシアブの丘に対してフェンスがありません。入り口のようなものもありません。というわけで、舗装された道から荒涼とした砂地へ、誰に断ることもなく入っていきます。
皇居と同じ広さの荒涼とした大地
「丘」と名が付くだけあって、舗装された道路側から見て20メートルくらい、急な斜面を登らなければなりません。乾いた砂地に足を滑らせないように、手を付きながら慎重に足を運びます。着いた先が、アフラシアブの丘です。

ご覧の通り、何もありません。60万人ほどの人口を抱える都市化されたサマルカンドにあって、褐色の大地と空ばかりが目の前に広がっています。とても異質な世界です。1220年にモンゴル帝国に破壊されるまでサマルカンドの街があった場所で、考古学保護区として開発されないまま残っているのです。
土地は正三角形に近い形状で、広さは220ヘクタール(=220万平方メートル)あります。都市の中心にある広大な空間という意味で、皇居に少し似ているところがあると感じました。

でも、これが驚くべきことに、皇居と広さがほぼ同じなのです。皇居は宮内庁の管理部分だけだと115万平方メートルなのですが、皇居外苑まで含めた総面積は、230万平方メートルあります。偶然ながら、220万平方メートルのアフラシアブの丘と広さも類似しているのです。
写真左手に見える建物は、アフラシアブ博物館です。

ご覧の通り、観光客の姿はほとんど見られませんでした。だだっ広い砂地があるだけなので、来る意味がないと言えばその通りではあります。
でも、街の真ん中にこれほどの土地をそのままにしておくって、なかなかできないことだと思いませんか。遺構が出土した土地を部分的に保護することはあっても、ここは都市部の一等地で、220万平方メートルもあります。繰り返しですが、皇居と同じくらいの広さです。そのような土地が、モンゴル帝国に破壊されて800年が経っている今もこうして残されている事実には、驚くほかありません。「無」であるがゆえに、感じるものがあるー。そんな世界もあるということを教えてくれます。
15:50 われわれが訪れた日曜日は、アフラシアブ博物館は休館日です。というわけで、アフラシアブの丘だけ見て、帰ります。サマルカンドの観光はこれで全て終了です。
ブハラへ向けて出発
16:20 Yandexで呼んだタクシーに乗って、モーベンピック サマルカンドに到着。スーツケースを受け取り、ロビーで少し休憩です。

17:00 再びYandexでホテルにタクシーを呼び、サマルカンド駅へ。余裕をもって到着しました。

2日前は22時過ぎに、こちらの駅に到着しました。その時は人はいないし、暗いしで寂しかったですが、さすがに夕方は多くの観光客がいます。

パンなどの軽食を扱う店が数店あります。簡単な食べ物は手に入ります。

電車に乗るまで少し時間があるので、アイスクリームを買って食べました。

電車は国境をまたいで、かなり長い距離を走っているのですね。案内板には、タジキスタンの首都ドゥシャンベ、ロシアのヴォルゴグラードといった都市名が見られました。

電車が出発する定刻は17:45ですが、15分前にはホームに入線していました。

われわれが乗る電車は、駅舎を出てすぐのホームではなく、その向かいのホームに停車していました。そちらには、地下道を通って行きます。下の写真は、ホームから地下道への出入り口です。しかし、重いスーツケースを抱えて階段を上り下りしなければならないので、なかなか大変でした。エスカレーターやエレベーターがあるようには見えませんでしたが、今思えば、駅員に聞いてみてもよかったと思います。

ホームにも小さな売店があり、飲み物などを売っています。

シーツは個室の特典?
では電車に乗り込みます。寝台列車は値段が安い方からSleeper、Coupe、SVの3種類があります。簡単に言えば、Sleeperは大部屋、Coupeは4人部屋、SVは個室、といったところです。そして、われわれがブハラ行きの列車で取ったチケットは、SVです。こちらはSVの車両の通路になります。

サマルカンドからブハラへの移動にも、アフラシアブ号を利用したかったのですが、いかんせん本数が少ないのが欠点です(寝台列車の数も少ないのですが)。われわれが訪れた2025年10月時点でのダイヤで言うと、日没後のアフラシアブ号は22時過ぎにしかなく、ブハラへの到着時間は0時を回ります。それはあまりにも遅すぎます。サマルカンドーブハラにおいて、寝台特急はアフラシアブ号より1時間ほど所要時間が長くなりますが、それでもそちらの方が、旅の効率を考えるといいと判断しました。
こちらが個室です。われわれが乗った列車は、おそらく古いタイプです。ネット上では、もう少し高級感がある個室の写真がちらほら見られます。そちらは新しい車両なのではないかと思います。もちろん新しい方がいいに決まっていますが、こればかりはコントロールできないので、仕方ないです。でも、広さそのものは新しい車両も古い車両も、ほぼ変わらないはずです。

17:50 定刻の17:45から5分ほど遅れて列車が出ました。ほっと一安心です。遠く離れた複数の街を訪れる個人旅行で最も気を遣うのは、やはり都市間移動です。特にウズベキスタンのように特急列車の本数が少ない国だと、1本逃すと痛手があまりに大きいです。観光のハイシーズンだと、満席で後続の列車に乗れない可能性すらあります。その意味で、無事に列車に乗れて、そして滞りなく出発してくれて、本当に安堵しました。
ほどなくして、スタッフからシーツが配られました。後日、ブハラからヒヴァへ向かう際の寝台列車は4人部屋だったからか、シーツの配布はなかったので、個室であるSVクラスだけの特典なのでしょうか。寝台部分に汚れや不衛生なところはありませんでしたが、でもシーツがあった方が気持ちよく過ごせるに決まっています。ありがたく使わせてもらいます。

ドアを閉めてしまえば、プライベートは確保されます。乗車中、車掌による検札はありませんでした。

照明はコントロールできます。電車の揺れは、特に大きくもなく小さくもなく、といったところです。日本でも寝台列車に乗ったことがありますが、乗り心地はそれほど変わらなかったです。

サマルカンドーブハラは、寝台列車で3時間ほどです。駅間の距離で言うと250km前後でしょうか。東京駅-浜松駅と同じくらいです。せっかくの寝台列車の個室ですから、昼寝するなどして、ゆったりと過ごしました。
ブハラ駅に着いたら、Yandexでタクシーを呼んでホテルへ移動します。




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