6泊8日で、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、タシケントを巡る個人旅行の2日目です。シャーヒ・ズィンダ廟群、レギスタン広場などを見て回った後、日が落ちる前に、ルハバット廟、グーリ・アミール廟(ティムール廟)、アクサライ廟を見学します。2025年10月の旅です。
ティムールが尊敬していた指導者とは
2日目 16:10 レギスタン広場を出て、幹線道路(レギスタン通り)を西に向けて歩きます。通り沿いはレストランなどが軒を連ねています。

レギスタン広場から700mほど歩き、ルハバット廟に着きました。

場所はこちらです。グーグルマップのように「ルホボト廟」という表記もあります。
ルハバット廟は、14世紀のイスラム法学者で神秘主義(スーフィズム)の指導者でもあったシェイフ・ブルハニッディン・サガルジのために建てられました。サガルジは、ティムールが尊敬していた人物として知られています。
サガルジは中国でも大変に敬意を払われていた人物で、当時元朝だった中国にも教えに出向いたとされます。その生涯については、はっきりとしない部分が多くあるようですが、一説によると1280年代に中国で亡くなり、サマルカンドに遺体が運ばれて埋葬されたといいます。墓を築いたのは弟子たちです。
ティムールは1336年生まれなので、直接の接点はなかったわけですが、その教えに感銘を受けて、帝国建国後も霊廟を保護したと言います。
ルハバット廟には、「ティムール様式」と呼ばれるシャーヒ・ズィンダ廟群などで見られる色鮮やかなタイル装飾は見られません。質素なれんが造りになっています。
入場無料です。時間はかかりません。レギスタン広場とティムール廟の間にあるので、ルートに組み入れて、さらっと見学するのがよいでしょう。
帝国を築いたティムールが眠る地へ
16:30 ルハバット廟を出て、グーリ・アミール廟へ向かいます。ティムールの霊廟ですので、単にティムール廟とも呼ばれます。グーリは墓、アミールは司令官を意味します。なので、細かいことを言うと、グーリ・アミール廟は「頭痛が痛い」のような二重表現になります。ティムールは自らの帝国において、生涯にわたってアミールの称号を使い続けました。
ルハバット廟からティムール廟は200mほどしか離れていないので、すぐに着きます。
ティムール廟の入り口です。チケット売り場は向かって左手にあります。入場料は75,000スム。クレジットカードは使えました。

グーリ・アミール廟が建てられたのは1403年です。もともとはティムールのための霊廟ではなく、死去した孫のムハンマド・スルタンのために建立されました。その2年後、ティムールは中国への遠征中に死去します。本人は故郷のシャフリサーブスに埋葬されることを望んでいたといいますが、冬の雪道で遺体を運ぶのは困難を極め、結果的に孫と同じ霊廟に葬られることになったといいます。その後、ウルグベクらティムール一族も、この地に眠ることになりました。
中央の青いドーム部分が、霊廟になります。ドームには特徴的なフルーティング(縦溝)が刻まれています。

入り口があるイーワーン(三方を壁に囲まれた空間)です。蜂の巣のような装飾、ムカルナスが施されています。左右対称の幾何学模様となっており、とても緻密につくられています。

では、中に入ります。
なんとまぁ、圧巻の金、金、金、金、金です。レギスタン広場のティラカリ・マドラサは青が主役で金が混じっているのに対し、ティムール廟は金で全面が覆われたところに青が彩りを添えています。

権力者というものは古今東西、古代も現代も、金を好むものです。この空間を見れば、ティムールの権力がいかに絶大だったのかが分かります。

天井を別角度から。いつまでも見ていられるような美しさがあります。

壁面の装飾はとにかく細やかです。職人の見事なまでの技量がうかがえます。単に金色があふれかえっているからすごみがあるわけではありません。

ちなみに、ティムール廟はこのように全面金ピカですが、実際に使われている金の量は、レギスタン広場にあるティラカリ・マドラサのモスクの方が多いという推定結果があるらしいです。
空間の真ん中に、いくつもの墓標が並べられています。

黒光りしている小ぶりな墓標がティムール、手前がムハンマド・スルタンのものです。亡骸を収めた棺はこの廟の地下にあるといいます。もちろん、観光客が見ることはできません。

墓標の説明文です。天文台で有名なウルグベクも、この地に眠ります。2番の墓標です。ウルグベクはティムールの孫になります。

「棺の呪い」によって独ソ開戦?
その地下の棺を巡っては、一つの伝説があります。棺の表面には「墓を暴く者は、私よりも恐ろしい侵略者に遭うだろう」という呪いが書かれており、実際に災いがもたらされたというものです。
1941年6月19日、歴史学者や人類学者からなるソ連の調査団がティムールの棺を開けてしまいます。その3日後、ナチスドイツが独ソ不可侵条約を一方的に破棄し、ソ連に侵攻してきました。独ソ戦の開戦です。この戦争によって双方合わせて史上最悪の3,000万人もの犠牲者を出したことは、広く知られている通りです。
実際のところ、棺にそのような呪いの文言が書かれているという事実はないようです。ただ、地元住民らが棺を開けることを快く思っていなかったようで、その結果、このような創作話が生まれたというのが真相のようです。
「ティムールは障害者」 医学的に立証
ティムールの棺を開ける調査に関して言うと、歴史学者らにとって、ティムールに身体障害があったのかどうかが最大の関心事の一つだったとされています。
ティムールの障害については、ダマスカス出身の歴史家で、ティムールと同時代にサマルカンドで捕虜のような生活を強いられたイブン・アラブシャーが、自身の著書で「ティムールは右足が不自由で、右腕も同様だった」と書き残しています。矢で射られたことが原因だといいます。
そのほかにも、ティムールに関する史料には、似たような記述があるといいます。
果たして本当にティムールは障害者だったのか。
調査団が棺に眠る亡骸を調べてみたところ、なんと右足に障害があることが確認されました。史料の記述が真実であることが、医学的に立証されたのです。調査団にとって、これはかなり興奮する出来事だったのではないでしょうか。棺を開けるという行為の是非はさておいて、歴史的な発見だったのは間違いないところでしょう。
ティムール廟の外観を別角度から。

ティムール廟、堪能しました。ここには空間の圧倒的な美があります。その美しさは、レギスタン広場のティラカリ・マドラサのモスクと並ぶ2トップでしょう。レギスタン広場やシャーヒ・ズィンダ廟群の陰に隠れている印象ですが、ここは絶対に外せない観光スポットではないかと思います。われわれがここで要した時間は、30分ほどでした。
門扉が閉じられていたアクサライ廟
17:00 グーリ・アミール廟を出て、次はアクサライ廟に向かいます。
アクサライ廟はグーリ・アミール廟のすぐそばにあるのですが、観光客があまり通らない住宅地の先にあるので、道を間違わないようにしましょう。「アクサライ」は「白い宮殿」を意味するとのことです。
17:05 アクサライ廟に到着。しかし、門扉が閉じられていて、中に入れませんでした。閉まる時間ではないはずだし、どうしたものかと思っていると、廟の中から観光客が出てきて、管理している男性を呼んでくれました。この人が一人で管理(いわゆるワンオペ)しているため、入場した観光客の対応をしている間は、新たな観光客を入れないようにしているようでした。もし観光客が長い時間、外に出てこなかったら、われわれは諦めて退散していたでしょうから、その点は運が良かったです。
その管理人の男性に現金で入場料を払って、無事入れました。記憶があやふやですが、たしか1人50,000スムだった気がします。外観はこの通り、シンプルなものです。

アクサライ廟が建てられたのは、ティムール廟ができて70年後の1470年前後とされています。ティムール一族のための霊廟という位置づけだったようですが、誰のために建てられたのかは、はっきりと分かっていないようです。
入り口です。

入ってみてびっくり。素朴な外観と打って変わって、ティラカリ・マドラサのモスクやティムール廟に劣らないような緻密な装飾の空間が広がっていました。

空間そのもの大きさは、ティラカリ・マドラサのモスクやティムール廟と比べると小さいです。でも、円形と直線を組み合わせたパターン構成は、こちらの方が複雑で、緻密で、完成度が高いようにも思います。

ティラカリ・マドラサとティムール廟が横綱だとすると、アクサライ廟は少なくとも大関クラスと言っていい気がします。個人的には、そのくらい感銘を受けました。

現在の姿は、修復後のものということです。アクサライ廟は長い間、傷んだまま放置され、内部の壁や天井も損傷が激しかったらしいです。そこで2000年代から本格的に修復が始まりました。作業を終えたのは2007年のこと。幾何学的な構成は、修復後も忠実に再現されているとのことです。
宇宙的な動画を撮ってもらおう
ちなみに、空間中央の床面には、ろくろのように回転する小さな台座付きの装置が据えられています。何のために使うかと言うと、その台座にスマホを置いて、動画で天井を撮影するのです。管理する男性が無料でやってくれます。
これが、どんな動画になるかというと、まさにリアル万華鏡です。美しい天井装飾が、ゆっくりと回ります。宇宙的と言ってもいいような壮大な世界が、そこに描き出されます。なかなかのものです。ここでしか撮影できない無二の動画かと思います。
静止画をここにアップしておきます。動画では、これがゆっくりと右回りに回転します。

地下に降りると、墓標が設置してあります。誰のものなのかは分かっていません。

アクサライ廟、予想以上に素晴らしかったです。ティムール廟とセットで必ず訪れるべき場所だと思います。滞在時間は30分ほどでした。
外に出ると、木の陰にサバ白の子猫がいました。猫が街のいろいろなところにいて、住民たちに大事にされているのが、イスラム圏のいいところです。

ティムール像で記念撮影
ホテルへの帰り道に、ティムール像を見ます。ティムール像は、主要道の交差点に据えられています。
17:30 アクサライ廟から歩いて数分で到着。台座部分まで含めると、高さ5mはあるでしょうか。ウズベキスタンが国の英雄としているだけあって、そのポーズには威厳のようなものが感じられます。ティムールはモンゴル系の出自で、ウズベク人が属するテュルク系ではなかったということですが、実際はどんな顔立ちだったのでしょう。

ティムール像から幹線道を見た景色。夕日に照らされたティムール廟のドームが見えます。手前にある「SAMARKAND 2025」の立て看板は、ワシントン条約第20回締約国会議に向けた宣伝用のものだったのではないかと思います。2025年11月24日から12月5日にかけて、ここサマルカンドで会議が催されることになっていました。ウナギの国際取引の規制が提案されて、否決されたというニュースは、日本でも大きく報じられました。

日が暮れる前に、予定していた観光を終えることができました。順調です。
17:35 宿泊先のモーベンピック サマルカンドに到着。軽く休憩して、夜食は「エミルハン」という評判のいいレストランに出向きます。





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