6泊8日で、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、タシケントを巡る個人旅行の4日目は、ブハラ観光です。昼食後、まずはラビハウズの周辺を回ります。2025年10月の旅です。
スーフィーたちが集まりし場
4日目 13:25 ラビハウズの西側に、池に面して建つノディル・ディヴァン・ベギ・ハナカという施設があります。入ってみます。入場料は1人20,000スムです。
完成したのは1619~20年で、人工池であるラビハウズと同時並行で整備されました。建てたのは、ブハラ・ハン国の君主イマーム・クリーの弟ノディル・ディヴァン・ベギ(Nodir Divan Begi)です。

ノディル・ディヴァン・ベギ・ハナカの「ハナカ」(khanaka)とは、イスラム教神秘主義「スーフィズム」の修行者であるスーフィーのための施設を指します。スーフィズムはスンナ派やシーア派といった宗派ではなく、自らの内面の中に神を見出し、精神的な充足を探究する哲学を指します。スーフィーたちはハナカに集まって祈ったり、互いの交流を深めたりしたといいます。ハナカには、ペルシャ語由来の「ハンカー(khanqah)」という表記もあります。
ブハラは14世紀に創設された「ナクシュバンディー教団」というスーフィー教団の本拠地で、歴史的にスーフィズムにおいて重要な役割を果たしてきた街としても知られています。ノディル・ディヴァン・ベギ自身は、スーフィーではなかったものの、政治的に支援者の立場ではあったようで、その関係でこの施設が建てられました。
ノディル・ディヴァン・ベギに関しては、ペルシャ語由来の「Nadir Devon Begi」という表記もあり、「ナディル・ディヴァン・ベギ」と紹介しているケースもあります。ネット上には、「Nodir」と「Nadir」のいずれも出てきますが、建物の入り口に埋め込まれた銘板の英語表記は「Nodir」になっていました。ウズベキスタンは国として「Nodir」を正しい表記としているようです。
内部にはこのように美術品、工芸品などが展示されています。説明文をきちんと読んではいないのですが、スーフィーと関係しているものなのでしょうか。

ブハラの街を再現した模型も。

ミフラーブが設けられている空間です。ここで用いられている色の数は、ウズベキスタンで見てきたモスクやマドラサの中で最多かもしれません。先ほど見たアブドゥルアジズハン・マドラサも暖色系が混じっていて色彩豊かでしたが、こちらはそれを凌駕しています。やはり建物が建てられた1600年代という時代が関係しているのでしょう。ティムール登場後の1400年代に建てられたマドラサが、青の濃淡だけで装飾されているのと比べると、時の流れを感じます。この空間を見るためだけでも、入場料を払う価値はあるかもしれません。

施設の中は広くありません。展示物をじっくり見ないのであれば、10分ほどで十分かと思います。
タブーであるはずの動物と人の顔がここにも
13:40 ラビハウズの東側にあるノディル・ディヴァン・ベギ・マドラサに行きます。
マドラサのピシュターク(正面の門構え)です。建てられたのは1622~23年。ノディル・ディヴァン・ベギ・ハナカの2、3年後に完成したことになります。入場料は不要です。

ピシュタークには、左右対称に緑色の鳥と、動物らしき白い生き物が描かれています。この鳥は、ペルシャ神話に登場する「フマ」です。スーフィーの詩などにも登場するそうです。人の目に見えることなく生涯にわたって飛び続け、地上に降りて休むことは決してないとされています。白い動物は鹿です。また、太陽の中心には人物の顔らしきものも描かれています。

鳥の題材は神話から来ているとはいえ、イスラム教は「偶像」を描くことを禁忌としているはずです。なぜそれができてしまったのでしょう。
そこで話が重なってくるのが、レギスタン広場のシェルドル・マドラサです。こちらでは、獅子と白い鹿が2匹ずつ描かれています。獅子の胴体には人物の顔が入っています。人物は光線を放っており、やはり太陽のように見えます。

シェルドル・マドラサの建設が始まったのは1619年です。対して、ノディル・ディヴァン・ベギ・マドラサは1622年に建造が始まり、完成したのは翌1623年です。両マドラサは、ほとんど同時期の建造物ということになります。
この一致をどうとらえればいいのでしょう。
ヤラングトゥシュ・バハドゥールの存在感
サマルカンドもブハラも、ブハラ・ハン国の治世下にあった時代です。そして当時、ヤラングトゥシュ・バハドゥールという人物が権勢をふるっていました。ヤラングトゥシュ・バハドゥールはサマルカンドを統べるハーキムという立場でありながら、同時にブハラ・ハン国において、ハンの後見人であるアタリークという役職を得て、事実上の宰相のような権力を握っていました。その辺りのことは、レギスタン広場を紹介した旅行記⑦で書いたとおりです。
対して、ノディル・ディバン・ベギは、ハンの血筋であり、ブハラ・ハン国において財政の責任者という位の高い立場にあったことが分かっています。シェルドル・マドラサとノディル・ディバン・ベギ・マドラサに、同時期に似たような偶像が描かれた理由は、ここにあるようです。
つまり、建設が始まったシェルドル・マドラサに動物や人の顔が描かれることを知ったノディル・ディバン・ベギが、ヤラングトゥシュ・バハドゥールに対抗するように、ブハラで自らが手掛けるマドラサに同じように動物や人の顔を描かせた、ということです。
最高権力者 vs 血筋のプライド
ノディル・ディバン・ベギは、ブハラ・ハン国で随一の軍事力を誇るヤラングトゥシュ・バハドゥールに、権力では及ばなかったことでしょう。一方で、自らの家格に対するプライドはあったはずです。あいつは貴族の出自ではないが、こちらは高貴なハンの血筋なのであって、成り上がり者がタブーに挑むのなら、自分だってー。そんな思いだったのかもしれません。
いずれのマドラサも、描かれた偶像の主役は、動物ではなく、人の顔から光が放たれている太陽であったはずです。太陽=王権です。宗教的権威よりも自分の方が偉い。ヤラングトゥシュ・バハドゥールもノディル・ディバン・ベギも、それを世に向けて誇示したかったのではないでしょうか。
権力者たちが競い合い、生み出した建築物は、いずれも世界遺産の構成資産となり、ウズベキスタンの宝となりました。背後にある人間ドラマを知ると、観光するにあたってより面白さを感じられるかもしれません。
ノディル・ディヴァン・ベギ・マドラサの内庭です。ここにもいろいろな店が出ています。

ラビ・ハウズと一体で整備した「都市計画」
ノディル・ディヴァン・ベギは、人工池であるラビハウズをつくる際、ノディル・ディヴァン・ベギ・ハナカ、ノディル・ディヴァン・ベギ・マドラサの建造にも着手しています。どれか一つではなく、同時並行だったのです。これは、現代で言うところの都市計画のようなものだったのではないかと思います。
人が生きていくうえで欠かせないのは、やはり水です。その水場を中心に据え、囲むように宗教施設を配置すれば、生活水を得るために訪れる者だけではなく、宗教を学ぶ者たちも集まってきて、活気ある場が生まれます。カラーン・モスクやアルク城から離れておらず、場所としての利便性も悪くありません。思いつきで作ったようなものでは決してなく、とても考え抜かれた「街づくり」だったのではないでしょうか。
観光客として見る現在のラビハウズは、憩いの場にしか映らないかもしれません。ただ、こうした歴史的背景を知っておくと、同じ光景でも違って見えてくるのではないかと思います。
ノディル・ディヴァン・ベギ・マドラサを見終わった後は、日中の強い日差しでやや疲労を覚えたので、シルクロード・ティーハウスに行って一休みします。




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