6泊8日で、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、タシケントを見て回る個人旅行の2日目は、サマルカンド観光です。午前中にシャーヒ・ズィンダ廟群、ビビハニム・モスク、ビビハニム廟を見て、ビビ・ハニム ティーハウスで昼食を取り、これからレギスタン広場に向かいます。2025年10月の旅です。
まずはジェラート店から
2日目 13:30 南北に伸びるイスラム・カリモフ通りを南の方に向かうと、左手に広場が見えてきます。ここにイスラム・カリモフ像があります。ウズベキスタンがソビエト連邦から独立した際の初代大統領です。権力者およびその取り巻きは古今東西、像を作りたがるものです。

場所はこちらです。カリモフ像の向かいにあるのがレギスタン広場になります
13:35 レギスタン広場に到着。ついにウズベキスタンに来た、サマルカンドに来た、と気持ちが盛り上がるスポットです。つまりは、ウズベキスタンの象徴とも言うべき場所です。

レギスタン広場には、このようなおしゃれなジェラート店があります。店が立地するのは、入場料を払わなくてもいい広場前の緑地です。

ガラスケースが反射してうまく撮れていませんが、ジェラートはこんな感じです。店の裏手で先に会計を済ませてレシートを持っていき、作ってもらうという流れになります。チョコレート味を選びましたが、思ったより甘めでした。

チケット売り場は広場の西側に
ではレギスタン広場に入ります。 チケット売り場は、広場の西側にあります。
チケット売り場です。中央アジアでトップ級の有名な観光地だと思いますが、チケットブースは案外と小さめです。入場料は100,000スムで、クレジットカードは使えます。

こちらは最も古いウルグベク・マドラサです。広場の正面に向かって左手にあるマドラサです。建てられた時期は1417〜20年とされ、建設を命じたのは、その名の通りウルグベクです。ティムールの孫にしてティムール朝の第4代の君主です。数学や天文学に秀でていたことでも知られ、ウルグベク天文台には彼が残した天文観測のための遺構があります。ウルグベク・マドラサではイスラム神学だけではなく、数学や天文学などを教えていたといいます。

シェルドル・マドラサを建てたのは誰?
こちらはシェルドル・マドラサです。広場正面に向かって右手のマドラサです。建設期間は1619〜36年。当時ブハラ・ハン国が治めていたサマルカンドにおいて、最大の権力を持っていたヤラングトゥシュ・バハドゥールという人物が、ウルグベク・マドラサと対になるように建設を命じたといいます。

ヤラングトゥシュ・バハドゥールは当時、サマルカンドにおいてハーキムという役職を務めていました。今で言うところの地方自治体のトップでしょう。同時にブハラ・ハン国において、アタリークという肩書も持っていました。アタリークとはテュルク語でアタ=父、リーク=ような、という意味で、君主であるハンの後見人とも言うべき役割でした。圧倒的な軍事力を背景に実質的には宰相に近い立場だったようで、ハンより力を持っていたといいます。
つまり、いまの日本で強引に例えるなら、大阪府知事が大阪在住のまま、事実上の内閣総理大臣とも言うべきポジションを占めて国全体を動かしているといった感じでしょうか。
絶大な権力がなせた掟破り?
シェルドル・マドラサの話に戻ると、シェルドルとは「獅子を持つ者」を意味します。その名の通り、人の顔のような太陽を背負った獅子がピシュターク(正面の巨大な門)に描かれています。偶像を禁止するイスラムにあって、動物や人の顔を表現するのは異例です。禁を犯しているとも言ってもいいかもしれません。なぜそれが現実のものとなったのか。それは、ヤラングトゥシュ・バハドゥールが獅子などをあえて描かせることで、自らの威厳や権力を表したかったからではないかと考えられています。

ティラカリ・マドラサを建てた人物も実は…
レギスタン広場のマドラサで最後に完成したのが、広場に向かって正面に建つティラカリ・マドラサです。建設期間は1646年〜60年。シェルドル・マドラサと同じく、こちらもヤラングトゥシュ・バハドゥールによって建てられました。マドラサでありながら、モスクを備えているのが他の二つのマドラサとの違いです。

ティラカリ・マドラサの正面にあるイーワーン(三方を壁に囲まれた空間)を下から見上げたら、このような感じです。ウルグベク・マドラサと比べると、200年以上後に建てられているだけあって、装飾はより細かく、技術が向上していたことがうかがえます。また、ウルグベク・マドラサのタイルは基本的に青の濃淡だけですが、こちらは青をベースとしながら暖色系の色も用いられています。この辺りにも時代の違いを感じます。

知名度が低い理由は?
レギスタン広場にある三つのマドラサのうち、二つを手掛けたのがヤラングトゥシュ・バハドゥールということになります。なぜ彼がそれをなしえたのかと言うと、アタリークという立場にあったから、ということになるかと思います。サマルカンドのトップであるハーキムというポジションでしかなかったら、このような大規模建築を残すことは叶わなかったでしょう。国を実質支配するような絶大な権力を握っていたからこそ、できたことではないでしょうか。
その割に、ヤラングトゥシュ・バハドゥールの知名度は、ティムールやウルグベクと比べると格段に落ちます。それは、彼が「事実上のトップ」であって、本当のトップでなかったことに由来するのかもしれません。
ティムールもウルグベクもチンギス・ハンの血を引いていないのでハンではありませんでしたが、ティムール朝の君主ではありました。対して、ヤラングトゥシュ・バハドゥールは、日本史で言うところの摂政のような立場にとどまりました。それが認知度の低さにつながっている気がします。
ただ、三つのマドラサが集まる今日のレギスタン広場を形作ったのは、まぎれもなくヤラングトゥシュ・バハドゥールです。ティムールやウルグベクと並び称されることはないかもしれませんが、その名を知っておいて損はないのではないでしょうか。
黄金がまぶしすぎるティラカリ・マドラサ
さて、三つのマドラサの中で最大の見どころはどこかというと、やはりティラカリ・マドラサのモスクでしょう。
ティラカリとは「金を施された」という意味です。
こちらがモスクの内部です。その名の通り、金がふんだんに用いられています。神聖な色である青と合わさり、さながら宇宙のような世界を作り出しています。「息をのむ」とか「言葉を失う」とかいう決まり文句がありますが、誰もがそういう体験をするであろう普遍の美に満たされた空間です。ウズベキスタンで目に触れたものの中で最も美しいと感じたのは、このティラカリ・マドラサのモスクと、後述するグーリ・アミール廟です。

ここにモスクを建てた背景として、ビビハニム・モスクが建造から200年を超え、老朽化や地震のダメージによって荒廃が進んでいたことがあるようです。そこでティラカリ・マドラサの中に代わりとなるモスクを設け、マドラサで学ぶ神学生だけではなく、市民も利用できるようにしたのです。黄金で彩ったのは、ヤラングトゥシュ・バハドゥールが自らの権勢を見せつける目的もあったようです。
ムスリムの方は、ここで礼拝ができるようです。このような豪勢な空間で祈りをささげると、どのような気持ちになるのでしょう。

天井の装飾は、まるで大空に広がった花火のようです。あまりの美しさに、思わず口がぽかんと空いてしまいます。TBS系で毎週日曜日に放送している「世界遺産」で、CanonのCMでも使われているので、見たことがある人も多いかもしれません。こちらの天井は円形ドームではなく平面です。それなのに立体的に見えます。外から内へパターンが小さくなることで、そういう視覚効果が生まれています。

ちなみに、このブログに掲載している旅行の写真は、SONYのRX100VIIというカメラで撮影していますが、きらびやかなティラカリ・マドラサの色味をかなり忠実にとらえて、再現できていると思います。目で見た印象とほとんど変わりません。
比較対象として、スマホで撮ってみた写真は、こちらです。

こちらもきれいに撮れていますが、上の写真と色味がやや違うことが分かるかと思います。「行ってみて、実際どんな感じで見えるんだろう」という問いに答えるなら、「SONYのカメラで撮った写真のような感じで見えました」という回答になります。
モスクへは、入り口で靴を脱いで入ることになります。座り込んで、ずっと眺めていても飽きないです。

ウルグベク・マドラサのカフェは閉店
レギスタン広場では、ウルグベク・マドラサの中にあるカフェに行くつもりでした。2階部分がカフェスペースになっていて、コーヒーなどを飲めるとのことでした。しかし、探せども見当たりません。おかしいなと思い、土産物店の店員に聞いてみたところ、最近クローズしたとのことでした。残念。疲れたら、マドラサの中庭にあるベンチで休みましょう。
16:00 内部の見学を一通りしたので、退散します。2時間半ほど滞在しました。マドラサには、中庭に面して多くの店が入っています。それらを見て回るだけでも、それなりに楽しい時間を過ごせるでしょう。

次は、ルハバット廟、グーリ・アミール廟、アクサライ廟を訪ねます。




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